全さんま

さんま漁業

さんま漁業の歴史

我が国のさんま漁業の歴史は古く、約300年前に熊野灘で始まり、その後サイラ大網(旋網)が発明されてからは紀州沿岸における主要漁業として発達しました。関東ではやや遅れてこの漁業が行われるようになりましたが、江戸時代後期になると外房一帯で非常な隆盛を遂げ、更に伊豆沿岸にも普及し、盛期には数百帳に達したといわれています。サンマ旋網漁業は明治時代まで200余年も続き、この間に漁具にも改良が加えられてましたが、何といっても操業に多人数を必要とし、漁場も極沿岸に限られていたので、サンマの回遊ルートの変動による豊凶の差が大きかったのです。

明治末期になってサンマを目的とする流刺網が工夫され、漁獲能率の良いこの漁法が旋網漁法に取って代わり、その後大正初期における漁船の動力化・大型化による行動範囲の拡大が、沖合操業を可能にし、さんま漁業はここに流網の全盛期を迎えることとなりました。

第二次大戦直後のさんま漁業は、他の漁業と同様に戦争の直接被害を受け、生産は極端に低下しました。しかし、戦時中軍事上の要請で中止されていた火光利用の棒受網漁法をさんま漁業に導入することで、漁獲能率が著しく向上し、漁獲量は急増しました。昭和22年には戦前の漁獲水準に達し、昭和30年には約50万トンになりました。さんま漁業の急速な発展の背景には、食糧増産が要請され、漁業資材の不足する中、撒き餌を必要とせず、漁具の構造は簡単で操作が比較的容易であり、魚体に傷をつけないという合理的なさんま棒受網漁業を兼業の裏作にと殺到したからです。着業船数も昭和22年の600隻から、昭和24年には大小合わせて2,000隻以上に達しました。また、棒受網漁法は、昭和25年にはその割合が90%以上に達し、さんま漁業の中心の漁法に取って代わりました。

これに伴い、漁業種類として流刺網と旋網を使用する昭和8年の農林省令「秋刀魚漁業ノ制限ニ関スル件」は廃止され、昭和24年に「さんま漁業取締規制」が制定されました。昭和26年以降は承認制となり、トン数階層、操業期間等の一部改正を繰り返し、平成13年に至りました。平成13年の水産基本法の制定を機に、昭和37年の指定漁業制度創設以来40年振りに指定漁業の漁業種類が見直され、さんま漁業は、さんま資源の漁獲総量に占める割合等からみて、さんま資源や他の漁業に与える影響が大きく、国が統一的に隻数等の総量規制を行うことが適当であると認められ、平成14年4月1日に従来の承認漁業から「北太平洋さんま漁業」として指定漁業に移行し、新しい制度に乗ってスタートしました。

さんま棒受網漁業

さんま棒受網漁業は、日没から夜明けにかけて次のような漁船と漁獲方法で行われます。

さんま棒受網漁船

漁船規模は10~20tと100~200tのものが多い。集魚灯を使う夜間操業の漁船なので、大きな照明装置が装備されているほか、網を吊るす長い棒が目を引く。

さんま棒受網漁船

さんまの漁獲方法

さんま棒受網漁業は、日没から夜明けにかけて行われます。

魚は夜、光に集まる習性があります。「さんま」は特にその習性が強く、大群をなして海面の上層を回遊します。一度光に集まると、同一方向に旋回運動をし容易には離れないので、この習性を利用して、「さんま」を棒受網に誘導し、漁獲します。

1.魚群探知機とサーチライトで「さんま」の群れを探します。
「さんま」の群れを発見したら集魚灯を点けながら群れまで船を移動させ「さんま」を集めます。
さんま漁法1

2.左舷側の集魚灯を消し、右舷側だけを点けて「さんま」を右舷側に集めます。その間に左舷側に網を敷きます。
さんま漁法2

3.右舷側の集魚灯を船尾から順番に消すと同時に船首の集魚灯と左舷網側の集魚灯を順番に点けて「さんま」を網の方に誘導します。
さんま漁法3

4.集魚灯を全て消すと同時に、左舷側大ざおの赤色灯を点けて、興奮している「さんま」を落ち着かせ網の中で群れ行動をとらせます。
さんま漁法4

5.「さんま」が網の中で旋回状態になったら網をたぐり寄せてフィッシュポンプで海水と一緒にくみ上げ、氷をまぜながら魚倉にいれます。
さんま漁法5